お銚子と徳利は全く別物?それぞれのルーツの違いとは

お銚子と徳利は全く別物?それぞれのルーツの違いとは

お酒を入れる、お銚子(ちょうし)と徳利(とっくり)。
差しつ差されつを楽しめる日本酒にぴったりの酒器ですよね。現代ではどちらも同じような意味で使われがちですが、本来は全く別物だったという話はご存知でしょうか?
今回はそのルーツについて詳しく見ていきたいと思います。

お銚子一本=一合徳利一本の意味って本当?

徳利もお銚子も、どちらもお酒を入れるための容器です。
お銚子と徳利、呼び方は違いますが、最近ではほぼ同じ意味で使われており、居酒屋さんなど飲み屋で「お銚子一本」と注文すると、たいていは1合サイズの燗徳利(形状により内容量には多少差がありますが約150~180ml)が出てくるかと思います。
実は徳利を酒器として用いるようになったのは江戸時代末期以降のことで、それまで「銚子」と言えば全く別の形状の小型の酒器のことを指していました。

ねこの徳利
▲ねこのデザインですが、これも徳利の仲間です。

本来の「銚子」は平安時代には存在していた

お酒の歴史は大変古く、古代から酒器のようなものが存在していたとされますが、はっきりと文献等に登場するのは平安時代からになります。
当時はお酒を入れるものとしては「さしなべ」と「瓶子(へいじ)」が使われていました。
「さしなべ」は、神社などの儀式でも用いる銚子の原型とも言えるもので、これに長い柄をつけたものを「銚子(ちょうし)」、急須のようなつるをつけたものを「提子(ひさげ)」と呼ぶようになりました。

神前式などで三々九度をした経験がある方は、実物を見たことがあるかもしれませんが、現代では本来の「銚子」と「提子」を目にする機会はあまりないですよね。
もっとも身近なたとえで言うと、お雛様の三人官女で説明するのが一番わかりやすいかもしれません。

長い柄が特徴的な「銚子」

銚子
この官女が手にしているのが、もっとも古い形状の「銚子」です。
このように長い柄と注ぎ口(1つの「片口」と2つの「両口」の二種類があります)のついた金属あるいは木製の器で酒を温め、杯に注ぎ入れていました。

つるのついた「提子」

ひさげ
一方で、こちらの官女が手にしている急須状の器は、「提子」(ひさげ)と呼ばれるもので、樽から酒を補充するための「銚子」の補助的な役割をしていました。

「提子(ひさげ)」から「銚子」へ

提子は、酒だけでなくお湯や汁物などにも用いられました。
桃山時代の頃には、ふた付きの提子(ひさげ)があらわれました。そして、やがて酒用の提子を江戸時代前期から「銚子」と呼び、 直接、盃に注ぐようになったのです。

江戸後期の天保の頃には、それまでの木製や金属製(錫など)などに加え、陶製や磁器のものも広く用いられるようになりました。
このように「提子」から進化した「お銚子」は、現代でもお屠蘇の道具の一つとして用いられています。

お屠蘇セットの銚子
▲正月のお屠蘇(とそ)の風習自体も現代ではあまり見られなくなってきました

徳利は瓶子(へいじ)の代わりに使われるようになった?

徳利には様々な形状のものがありますが、一般的には口が狭く胴のふくらんだ形の酒器のことを指します。現代ではさまざまな素材のものが存在しますが、その多くは陶磁器製です。徳利が一般的な酒器として用いられるようになったのは江戸時代中期以降のことです。それまでは、前述のように酒器と言えば「瓶子」「銚子」「提子」が用いられていました。徳利は古代の酒器である瓶子(へいじ/へいし)から変化したものではないかと言われています。瓶子は現在の徳利よりもさらに注ぎ口が小さく、使い勝手はあまり良くなったようです。

【平家物語にも登場する「瓶子」】

その夜の酒宴しゆえんに、この由を仰おほせ合はせられたりければ、法印ほふいん、「あな浅まし。人あまた承うけたまはり候さふらひぬ。ただ今漏れ聞こえて、天下がの御大事に及び候ひなんず」と申まうされければ、大納言気色けしき変はつて、さつと立たれけるが、御前に立てられたりける瓶子(へいじ)を、狩衣かりぎぬの袖に掛けて引き倒たふされたりけるを、法皇ほふわう叡覧あつて、「あれはいかに」と仰せければ、大納言立ち返かへつて、「瓶子倒れ候ひぬ」とぞ申されける。

(現代語訳)その夜の酒宴で、平家を滅ぼすための話し合いが行われました、法印は「とても嘆かわしいことです。人がたくさん集まって謀議しているとは。すぐにでもこの話が漏れれば、天下の大事になります」と申しましたところ、大納言(藤原成親)は顔色を変えて、急に立ちあがりましたが、前にあった瓶子を袖に引っ掛けて倒してしまいました。法皇(後白河院)はそれをご覧になって「あれはどういうことか」とおっしゃったので、成親は立ち返って、「瓶子(平氏)を倒したのでございます」と答えました。

瓶子から徳利へ

酒宴などの酒器として瓶子が用いられたのは、鎌倉時代頃までのことで、注ぎ口が小さく酒を注ぐのには不便な事から、次第に徳利へと代わっていきました。ただし瓶子は現代でも神前にお酒を供える酒器として「お神酒徳利」などと呼ばれ、神社の行事や地鎮祭などで、神棚へのお供えに用いられています。

お神酒徳利
▲神社などで見かけたことがあるのでは? お神酒徳利とも呼ばれる「瓶子」(写真ではふたが閉まっている状態)

徳利はお酒の貯蔵に使われていた

最初のうちは徳利は盃へ酒を直接注ぐための器ではありませんでした。今で言うと一升瓶や酒樽のような役割で、酒をはじめ酢や醤油など液体の調味料の買い付けや、穀物の貯蔵に用いる器だったのです。なので、サイズも一升から三升入りの大徳利が主流で、酒は一度銚子に移し替えてから、酒席へと運んでいました。

現代のように杯やお猪口にお酒を注ぐために小形の燗徳利を用いるようになったのは、庶民がお酒を燗して飲むようになった江戸時代中期頃です。これは江戸時代の本草学者である貝原益軒が「養生訓」という著書に「凡そ、酒は夏冬とも冷飲、熱飲よろしからず温酒を飲むべし。」と記したのがきっかけだったと言われています。こうして次第に、燗徳利は内輪の小宴で、改まった酒宴では銚子が用いられるという風習が出来ていきました。

徳利の呼び方の由来には諸説あり

徳利の呼び方の由来は「とくり」から「とっくり」に変化したと言われていますが、なぜ「とくり」と呼ばれていたのかは諸説あり、正しいことはわかりません。
例えばお酒を注ぐときの「とくりとくり」という音が変じて付けられたという説や、見た目以上にお酒が入る事から「徳となり利益があること」から付けられたという説、「トックール」という朝鮮語(酒壺の意)という説など様々です。

また、現在一般的になっている「徳利」という漢字についても、他に「徳裏」や「土工季」といった表記も残っており、「とくり」の当て字の一つだった可能性は否定できません。

さいごに

このように小型の「燗徳利」は、銚子と同じく酒を盃に注ぐ用途があることから呼び名が混同され、明治時代以降は「お銚子」とも呼ばれるようになったのです。
意外と奥深い酒器の世界。お酒は、飲む器ひとつで味も変わるといわれています。徳利にも色々な素材や形がありますので、一つこだわりの器を探してみるのも楽しいかもしれませんね。


参考 
鈴木規夫「酒器の起源と移り変わり」『徳利と盃』別冊太陽・骨董を楽しむ1、平凡社(1994)
森太郎「日本の酒器」『世界の酒の履歴書』シリーズ◆酒の文化第2巻、社団法人アルコール健康医学協会編(1997)

 
今回の記事に登場したアイテム
徳利 猫 とっくり&おちょこセット(式会社サンアート)
屠蘇器セット とそ器(株式会社正和)

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リビングートマガジン 編集部

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